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大台ケ原>利用対策部会委員一年生の報告
情報提供者 : 大台ケ原・大峰の自然を守る会 提供日付  : 2003/05/25 08:29 登録経由地 : 自然環境フォーラム プレスリリース07 #00814 注意:自然環境フォーラム及びネイチャー&バードフォーラム経由で掲載した    情報には、一部に当該団体の公式なリリースではなく、ネットワーク向    けにのみ提供された情報が含まれています。    また、掲載形式は、原則として上記フォーラムに掲載されたテキストそ    のもので、前後にフォーラム会員宛の説明や挨拶が付け加えられている    場合があります。

  行政が市民に求めるのは お上の言うことをきく“従順さ”なのか!

 ―― 大台ヶ原自然再生検討会・利用対策部会委員一年生の報告 ――

                                                        田 村 義 彦

 2001年10月「大台ヶ原ニホンジカ保護管理管理検討会」は鹿捕殺を決定する際
に、鹿を殺すだけでは問題は解決しないとして、「過剰利用の防止は必須であり、
今後、マイカー規制等の導入や普及啓発の充実に向けて検討を進め、その際、市
民・NGO/NPOをも含む広範な主体の英知により十分な論議を尽くし・・・」
との付帯提言を発表した。環境省はそれを受けて2002年度に「大台ヶ原森林生態
系保全対策検討会(後に大台ヶ原自然再生検討会に改称)」に「利用対策部会」
の設置を決め、私にも委員の委嘱があった。過去2回、鹿とトウヒに関する検討
会の委員委嘱を断わってきたが、今回は永年要求してきた入山規制の課題である
だけに、仲間、弁護士と相談して引き受けることにした。
 そして、本年3月末日に2002年度1年(正確には5ヶ月間)の任期が終わった。
その間、すべての検討会のレポートをその都度このHPに書いてきたが、この際
総括的報告を書くことにする。

(1)作業部会検討委員は環境省ではなくコンサルタント会社社長の委嘱である
 ここまで「環境省が・・」などと書いてくると、検討委員は環境省の委嘱を受
けたように読者は思うであろうが、実はそうではないのだ。
 「大台ヶ原自然再生検討会」というのがあって、この委員は環境省の委嘱であ
る。この検討会は「親会議」と呼ばれていて、その下に「森林再生手法検討部会」
「利用対策部会」「野生動物部会」の三つの作業部会があり、更にこの他に鹿に
特化した「ニホンジカ保護管理検討会」がある。これら四つの検討会の委員は全
員、環境省ではなくコンサルタント会社社長の委嘱を受けた委員である。
 人選は環境省がして、それに基づいて委嘱はコンサルタント会社がするという
やり方がもし行政慣行だとすれば、なぜそうしなければならないのか市民にはま
ことに不可解である。各作業部会で具体的問題を検討して、親会議はそれをまと
めるだけである。重要なのはむしろ作業部会である。この差別化は役所の形式主
義なのか、他にどういう意味があるのか私にはわからない。

(2)事務局はコンサルタント会社
 そこで読者は、何故ここに「コンサルタント会社(以下コンサルと略す)」が
登場するのか奇異に思われるであろう。
 実は親会議も含めて四つの検討会の事務局はコンサル3社が分担している。検
討会の日時、場所の設定、会議の運営もすべてコンサルが仕切る。すべての資料
を作成し、検討会での説明もコンサル社員が行なう。環境省はコンサルと並んで
下手に控え、環境省に直接関係のある必要最小限度の発言しかしない。議事はコ
ンサル推薦の委員が座長をつとめる。

 勿論環境省は事前にコンサルと協議して指示を下しているのであろうが、資料
を読む限り、コンサルが単に成文化の実務をしただけとは思えない。殆どはコン
サルが書いたと思われる。これではコンサル丸投げではないか。これが、行政慣
行だとすれば、国家公務員は仕事をしていない、と言わざるをえない。まさか許
認可業務は丸投げしないであろうが、それが忙しいから検討会の実務は出来ない
と言うのであれば、検討会軽視である。小泉首相は「民間にできることは民間に」
と言うが、「役人がやるべきことを民間にやらせる」のは役人の怠慢であり、税
金の無駄遣いである。

 インターネットで中央の各種審議会の議事録を読む限り、コンサルの影はない
が、実務をコンサルにやらせて説明は官僚がするという形で上手にコンサルが伏
せられているのであろう。
 大台ヶ原でも、この度の「自然再生検討会」に先だって2001年に「ニホンジカ保
護管理検討会」が都合3回開催されたが、事務局、会議の運営はすべて環境省が
行なった。委員名簿に二つのコンサルの名前があるので、資料作成の実務はそこ
にやらせたのであろうが、そのコンサルの発言は全く無く、資料の説明、事務局
としての対応はすべて環境省が行なった。資料にも環境省がかなり筆を入れたと
聞いた。
 そうであるにも拘わらず、鹿の駆除よりはるかに重要な「自然再生」がテーマで
あるこの度の検討会で、環境省はなぜコンサルに丸投げしたのであろうか。

 この疑問はひとり私だけではなかった。第2回親会議の冒頭、説明を始めたコ
ンサルをさえぎって、座長が「委員から異議が出た。コンサルではなく環境省に
説明してもらいたい」とクレームをつけた。環境省から委嘱を受けた委員のプラ
イドなのか心中察し難いが、それはさておき、正に正論である。しかもそれは親
会議だけに限ったことではなく、作業部会にもいえることである。それとも、官
尊民卑なるが故に、民間人とはコンサルの御簾をへだててでなければ接しないと
いうほど、官僚は高貴なのであろうか。

(3)資料はコンサルが作成・当日渡し、委員は批評するだけ
 私は委員を引き受けるについて、「利用対策」について内外の文献を調べて資
料を用意した。それなりに勉強もした。現地調査に各地を訪ねた。しかし、その
必要はなかった。事務局であるコンサルが求めたのは、コンサルが作成した資料
への“感想、批評”に過ぎなかった。こちらが提出した提案は一切コンサルの資
料には掲載されなかった。部会発足に先立って行なわれた一般公募の政策提言も
一切掲載されなかった。検討委員が主体的に動くことは全く求められず、コンサ
ル案への評論家的批評をしておればよかった。この行政慣行に慣れていて、環境
省やコンサルににらまれるのは損と判断する賢明な委員は、ほとんど発言しない。

 しかもその資料は、一度を除いて当日渡された。親会議の座長ですら、前夜に
ファックスだったそうである。市民常識では、委員は資料を十分検討したうえで
会議に臨むと考えるであろうが、実際は傍聴者同様、当日会議直前に受け取るの
である。初見ですべてを読む時間はなく、拾い読みでは十分な論議ができるはず
がない。もしこれも慣行だとすれば、環境省は十分は論議を求めていない証左だ
と言える。

(4)調査をするのも委員ではなくコンサルタント会社
 環境庁は1985年に「野生動物との神秘的ふれあい計画」策定のためにお抱えの
コンサルに調査をやらせたが、その内容の杜撰さに当時驚いた。計画追認の調査
だからだ、と納得した。
 この度の調査も計画追認であることに違いはない。「自然再生」の名目で土木
事業をやるために、大義名分として「大台ヶ原は荒廃している」というデータが
ほしいだけであろう。
 検討会と三つの作業部会は昨年11月15日に発足して慌しく合計8回の会議を重
ね、本年 3月27日に2002年度の予定を終わった。そして、今から1年(正味半年)
で調査を終わり、来年(2004年)2月に「自然再生推進計画」をとりまとめること
になっている。常識的には拙速の極みであるが、環境省にとってはこれで十分な
時間なのであろう。

 大台ヶ原では過去に何度も調査が行なわれたが、この度の各種作業部会の検討
によって「まともなデータはない」と烙印が押された。そうであるなら、この際、
5年位の時間と予算をかけてまともな学術調査を行なうべきであろう。森林に関
しては日本で最初の再生事業であるからには、その裏付けとしての科学的データ
があって然るべきである。能力不十分なコンサルにまともな調査が出来るはずが
ないことは誰よりも環境省がいちばん知っているはずである。なぜ、屋上屋を重
ねるのか。愚劣であることをわかった上で行なう、必要かつ十分な行政慣行なの
か。

(5)科学的データはいらない環境省、データは隠れ蓑
 環境省は特定計画の時もそうであったが「科学的データ」の必要性を強調する。
しかし、誰よりも科学的データを軽視しているのが環境省である。不確実性の論
議を持ち出すまでもない。科学的データは要らないのだ。あれば越したことはな
い位の認識であろう。隠れ蓑程度の価値で、蓑は無ければ無くてもよいのだ。あ
と半年の調査で「大台ヶ原は荒廃している」といえる適当なデータが並んでいれ
ば、不正確であってもそれで十分なのだろう。
 鹿捕殺を決めた「ニホンジカ保護管理計画」はまともな科学的データがないま
ま見切り発車したが、この度の「自然再生計画」もまた同様の予感がする。
 
(6)行政は聞き流し
 親会議で、環境省の1枚の資料が検討委員の激しい批判を浴びて書き直すこと
になった。私は環境省としては精一杯客観的に書いたと評価したが、そこまで言
わなくてもいいだろうと思うぐらい激しい非難を浴びた。ところが、その資料が
それ以後の各種作業部会でもさりげなく配布されたが、全く書き直されていなか
った。書き直すことになっている事情説明すらなかった。親会議を傍聴していな
い作業部会委員は当然まともな資料と受け取ったであろう。八つの作業部会を経
過して4ヶ月後、2回目の親会議でやっと修正された。
 
 最近出版された新潮新書『バカの壁』に、養老猛司氏が次のようなことを書い
ている。
 養老氏は曽野綾子氏、C・W・ニコル氏などと一緒に環境省・林野庁の「地球
環境保全と森林に関する懇談会」の委員を委嘱された。『そこで出された答申の
書き出しは、「CO2増加による地球温暖化によって次ぎのようなことが起こる」
となっていました。私は「これは“CO2増加によると推測される”という風に
書き直してください」と注文をつけた。するとたちまち官僚から反論があった。
「国際会議で世界の科学者の八割が、炭酸ガスが原因だと認めています」と言う。
しかし、科学は多数決ではないのです。』
 養老氏の論点は「科学的事実」と「科学的推論」は別物だから簡単に「科学的
推論」を真理だと決め付けてしまうのは怖いということであって、私の引用の意
図とは離れて行くのでこれ以上はふれないが、養老氏は更に『特に官庁というの
は、一度何かを採択するとそれを頑として変えない性質を持っているところです』
と書いている。
 官僚が書いた原案を承諾する意見は採用し、異議はしりぞける。官僚独断のそ
しりを避けるために、形だけ民主的なポーズをとるのが懇談会、検討会、審議会
なのであろうか。

 利用対策部会にしても、冒頭に紹介したように、環境省自身が入山制限の必要
を感じ、そのために新設しておきながら、何故か腰が引けて積極性がない。検討
委員全員が積極的であるが、それに水を差すようなことを言う。何とも不可解で
ある。まことにヌエ的な環境省である。

(7)行政のいうことをきいてほしいだけか
 一昨年から環境省は奈良において各種検討会を公開にしてきた。その勇断は立
派だと評価してきた。しかし、折角公開された検討会の内実がこれでは、折角の
勇断も、常套句「民主主義の形骸化」としか語れないのが残念だ。
 最近、環境省・奈良県行政のいくつかの具体的事例で、行政が市民に求める
「パートナーシップ」とは、行政が市民の意見に耳を傾けることではなく、市民
が行政の言うことをきく従順さを求めているだけではないのか、と痛感するよう
になった。市民が行政のいうことをきいている限りは行政の姿勢も柔らかだが、
その意に反すると途端に硬化する体験を何度かした。これはパートナーシップで
はない。

(8)パートナーシップのウソ
● 環境省は「パートナーシップ推進」の「三つの原則」として、まず「対等・
平等の関係」をいう。これはウソだ。巨大な権力を持つ行政と市民が本来「対等
・平等」であり得るわけがない。このようなウソで市民のご機嫌をとろうとする
から結果的には、だましたことになる。権力を持つ行政と権力を持たない市民が
それぞれ自分のできること、しなければならないことを誠実に行いながら、協力
して「一つの方向」を目指すことが官民一体ではないだろうか。
 北海道崕山では、高山植物を守りたいという市民の声を行政が取り上げて、行
政の権力で法的に入山規制を行い、市民はパトロール、外来植物の抜根などに汗
を流している。体験学習登山会は行政が予算を出し、市民は人を出している。林
野庁職員もサポートする。
 
 大台ヶ原の場合、先ず官民の目的が一つになっていない。「大台ヶ原の原生的
自然の保全」と一言でいっても、中味は種々雑多の目的、思惑、権益が渦巻いて
いる。これでは官民一体は難しい。

● 「三つの原則」の二つ目は「情報の共有と意思決定への参加」という。「情
報の共有」など全くない。
 例えば、自然公園に関する奈良県自然環境保全審議会に自然保護団体代表者は
入っていない。会議は非公開で、委員名簿もホームページに公開していない。中
央省庁の各種検討会、審議会が公開され、委員名簿がインターネットで公開され
ている時代に、奈良県政の閉鎖的姿勢は改められるべきである。
 「意思決定への参加」も全くない。行政が一方的に決める。まれに市民に求め
られるのは決定の承諾でしかない。行政はそれをパートナーシップと錯覚してい
るようであるが大間違いだ。

 「大台ヶ原自然再生検討会」にも決定権はないが、決定権を持たない民間人が
集って論議する検討会の姿が、密室県政にどっぷり浸かって勝手にやってきた役
人たちには面白くないようで、検討会空洞化の動きが出てきたようだ。いかにも
密室奈良県政らしい時代錯誤の姿勢だ。このような愚劣な役人を市民は選んだお
ぼえはない。公僕である役人が主であるかと錯覚して貰っては迷惑だ。若い世代
は時代の流れを正確にキャッチして未来を展望している。大台ヶ原の未来は若い
世代にゆだねるべきだ。
 今後、民主主義の原則に基づいた環境省の毅然とした姿勢が問われる。

●「三つの原則」の三番目は「公平な役割分担」とある。これもウソだ。遥かそ
れ以前の問題だ。
 崕山では林野庁が予算を出して立派なログハウスの監視小屋を建て、民間人が
監視パトロールを担当している。
 善悪の問題ではなく現実の問題として、官民一体の協力体制は権限と予算を持
つ官の主導でやらざるを得ない。その官が心にもない美辞麗句を並べて市民をも
てあそぶのではなく、まず主権在民の原則に立って己の身を律すべきであろう。

(9)今年正念場を迎える大台ヶ原
 環境省は「単年度予算の関係で任期が1年になっているので、2003年度も今の
メンバーでいきたい」と言っているが、会議がいつ開催されるのかまだ決まって
いない。早くて6月頃と聞いているが、行政慣行からすれば夏になるかもしれな
い。わずかな時を惜しむべき時に、この怠業振りは何と評せばよいのだろうか。

 中央も地方も、市民が選んだのではないこのような役人に行政が握られ、権力
が私物化されている。自然再生検討会の空洞化をたくらむ奈良県政、自然再生推
進法の適用をねらう環境省、大台ヶ原は今年、正念場を迎える。
 先日の県会議員選挙を総括して、マスメディアは『保守王国・奈良の姿鮮明に』
『県民は〔変化〕を求めていない』と報じた。時代の流れから隔絶した奈良の地
で、私たちは絶望的な活動を続けることを余儀なくされている。
                         2003年4月27日



  

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