大台ケ原>残された自然の保全を優先
情報提供者 : 大台ケ原・大峰の自然を守る会
提供日付 : 2005/06/08 23:07
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残された自然の保全を優先し 何もせずに自然にゆだねるべし
―― 羊頭狗肉の「大台ヶ原自然再生推進計画」 ――
2005年2月26日 第34回総会において
大台ヶ原・大峰の自然を守る会
要 約
環境省は自然再生推進法ではなく直轄事業「自然再生推進計画調査」として「大台
ヶ原自然再生推進計画」を策定した。自然再生事業の前提になる「失われた自然」の
分析、記述はなく、「複合的要因」が列記されているだけで、その相互関係も解明さ
れていない。「再生すべき目標」も曖昧である。生態系を壊すことはできても作るこ
とのできない現代科学の限界と破綻を思わせる。
・森林再生計画は天然更新を非科学的に否定し、調査データの評価を恣意的に先送り
して表層土を除去した乱暴な実験に走っている。
・鹿捕殺計画は樹木枯死との因果関係の立証、捕殺効果の評価ぬきに予定通り実行す
る。
・利用対策計画は市民篭絡のきらい濃厚であるが、官僚が「マイカー規制」と「利用
調整地区」」の実現にどれだけ誠意をもって臨むかが試されるところである。
当初危惧された通りの「再生ありき」とばかりに強引で乱暴な巨大土木事業の展開を
予見させる危険な計画である。
2002年11月に検討会が発足した「大台ヶ原自然再生推進計画」(以下、再生計画と
略す)が2005年1月の自然再生検討会で承認、決定された。足掛け4年、環境省は手の
込んだ手法を使って難解で特異な再生計画を作った。
【I】「大台ヶ原自然再生検討会」の難解で特異な経緯
1.当初、環境省は官民一体で「マイカー規制」を実現しようとした
2001年、大台ヶ原に突然、新しい風が吹き始めた。
同年11月に「ニホンジカ保護管理計画」が策定された時点で、時の環境省近畿地区
自然保護事務所長は『所長からのメッセージ〜特に、市民・NGOの方々へ〜』を自
ら書いて公表し、「この計画作成に自然保護調整人としてこれまで3ヶ月間携わって
きましたが、今後は、市民・NGOの自発的・積極的行動、場合によっては専門的知
見が、大台ヶ原での問題提議を、真の自然保護を訴えるための、各方面への大きなう
ねりとしてくださることを願っています。」と訴えた。
更にその想いを「付帯提言」にまとめ、「今後、マイカー規制、立入等規制の導入
のために地元住民・市民、NGO/NPO、企業・事業者をも含む広範な主体の英知
により、十分な論議を尽していく必要がある」として、「大台ヶ原森林生態系保全対
策検討会(利用対策部会、植生保全対策部会、ニホンジカ保護管理部会)」を新設し
た。
本会は自然保護団体として利用対策部会委員の委嘱を受けた。過去2回は懐柔と理
解して断わってきたが、今回はマイカー規制を審議する検討会だけに、常任委員会で
慎重に論議をし、弁護士に相談したうえで受諾した。
2.環境省「自然再生事業」へ邁進
ところがその頃から、与党三党と環境・国交・農水三省は自然再生推進法成立を目
指して準備を進めていたが、弁護士会、自然保護団体等から「形を変えた開発だ」と
廃案を求める強い反対が起き、国会審議が難航した。予定より半年以上遅れて、修正
案に付帯決議を付けて、年末にようやく可決した。
法案成立に努力した環境省は自然再生推進法成立をもって、大きな政策転換を行っ
た。「大台ヶ原を全国で最初の森林に関わる自然再生地区と指定し、そのモデル地区
と位置付ける。大台ヶ原の自然再生の手法が紀伊山地全域、ひいては全国の森林生態
系再生の契機となることを期待する。」とした。人為を排するために買い上げた大台
ヶ原で人工造林の実験を行うという驚くべき変貌である。
自然再生推進法では、「実施者」と呼ばれる提案者が「自然再生協議会」を組織す
ることになっているが、環境省は大台ヶ原ではこの形をとらなかった。すでに立ち上
げていたマイカー規制のための検討会を利用することにして、2002年の年明け早々に、
「大台ヶ原自然再生検討会(利用対策部会、森林再生手法検討部会、野生動物部会)」
と改名、改組した。ニホンジカ保護管理検討会は別枠にした。
市民は検討会が改名されても当初の目的通りマイカー規制実現を目指すものだと信
じて疑わなかった。
3.説明責任を果たさない環境省
自然再生推進法の国会審議が難航したため、その間検討会は開かれなかった。成立
の見込みがついた2002年11月中旬に至ってようやく最初の会議が開かれた。検討会に
は、その都度本省の課長補佐が臨席して、「現時点では自然再生推進法を適用して基
本的な考え方を示して協議会を呼びかける段階ではない。将来、条件が整った段階で
適用するかどうか検討したい。」と説明を繰り返した。環境省が提出する資料は自然
再生推進法と同じ用語を使用して、「自然再生推進計画調査」とまぎらわしい名前が
付けられていたが、「直轄事業なので自然再生推進法ではない」と説明した。
本会はマイカー規制を審議する利用対策部会に参画したが、自然再生推進法には反
対を表明していたので、この説明には納得できず、会議の度に質問を繰り返したが納
得のいく回答はなかった。
2003年、霞ヶ関で自然再生推進法成立に関わり、著述もある新所長の赴任を機に、
本省課長補佐の臨席が終り、自然再生推進法との関連を否定し続けた説明も終った。
しかし、説明を終る理由の説明はなかった。そのために、検討委員達の殆どは、自然
再生推進法との関連が否定されなくなったこの時点で、自然再生推進法が適用された
と受け止めたようだ。本会も、なしくずしに自然再生推進法に移行したと理解した。
しかし、その認識は間違っていた。検討委員の間違った認識は今日まで尾を引いてい
る。
もともと環境省は個別法で始めて、自然再生推進法の適用の機会をうかがっていた
が、この時点で断念して所長が赴任して来たのか、或いは当初より単独法でいくつも
りであったのか定かではないが、その間の事情を環境省は一切説明をしなかった。
自然再生推進法ではなく個別法でいった理由は、大台ヶ原が環境省の直轄地である
だけに、農水、国交の干渉を排除するためだという解釈も成り立つが、そうであるな
ら何故、自然再生推進法の適用をほのめかしたのであろうか。
4.協働か自然保護団体対策か?
本再生計画の「新しい利用のあり方推進計画」の8項目の内5項目、「マイカー規制」
「利用調整地区」「登山道・自然観察路の充実」「キャンプ指定地の設定」「ビジタ
ーセンター機能の充実」は、本会が1978年に『大台ヶ原山の保護と利用への提言』の
小冊子を作って以来、提言し続けてきたことであった。その提言が25年目にしてよう
やく環境省の施策として俎上に載ったことにある種の感慨を覚え、行政との協働に希
望を抱いたが、“自然保護団体対策”のきらいを否定できない。
【II】“科学”の限界と破綻をみせた「大台ヶ原自然再生推進計画」
1.「自然再生の基本的な考え方」の基本的欠陥
生態系は構成要素が互いに循環する巨大なシステムである。その複雑さは現在の科
学をもってしてもとうてい把握しきれない。まして生態系を人工で作りあげることな
ど到底不可能である。いい加減な族学者が跋扈していた大台ヶ原にはまともな「科学
的データ」は存在しなかった。今回の調査担当者の労苦は多とするが、短期間の調査
資料が量的にも質的にもおよそ「科学的データ」とは言い得ないものであることは今
更言うまでもない。環境省霞ヶ関は「科学的データを基礎とする丁寧な実施」を謳っ
ているが、本再生計画は「科学的データのない性急で乱暴な実施」と言わざるを得な
い。
本再生計画では「過去に失われた自然を積極的に取戻すことを通じ生態系の健全性
を回復することを目的とした」という。生態系は自律的に回復する能力を持っている
が、その維持機構、回復力を考えずに無用の人為を加えると却って自然の回復力を損
なうことになる。破壊するのは簡単である。大台ヶ原の生態系についての正確な認識
と、人為を最小限度にとどめる確たる姿勢がないことが、本再生計画の基本的欠陥で
ある。
「健全性」などという人間の利己的価値観が忽然と現れて驚く。人間に関心を示さ
ず、それ自身充足している自然は、人間に対して時には無情で冷酷で、人間を拒絶す
ることもある。自然の悠久を考えるべき場にこのような人間中心主義の価値観を持ち
込むことは混迷の度を深めるだけである。
2.曖昧な再生目標設定
本再生計画では、「再生に100年かかるが、現状において可能な具体的な目標像」
として「ひとつの目安として30年代前半までの状況を目指す」という。
環境省は最初、「国立公園指定時の鬱蒼とした森林に戻したい」と言ったのである。
国立公園指定は1936年であるから70年前のことである。ところがその後、20年前の
「環境省所管時」に変更した。そして今回更に、50年前の「昭和30年代前半」に三転
した。すべて確たる根拠のない思いつきであろう。
「昭和30年代前半」が何故望ましい状態なのか、「失われた自然」とは何を指すの
か、一言の記述もない。「昭和30年代前半」といえば1955年から1959年までである。
大台ヶ原ドライブウエーが着工したのが1958年である。ドライブウエーと山上駐車場
は人為によって損なわれ、自然の復元力では修復し難いもので、正に「自然再生事業」
の対象である。アメリカのダム撤去のように、この道路を撤去しなければ「昭和30年
代前半」に戻したことにならない。
また、伊勢湾台風で正木ヶ原のトウヒの純林が倒されたのが1959年である。すでに
50年近い時を経て、遷移の過程でミヤコザサの草原になっている。そのミヤコザサの
草原を「あってはならない状況」と勝手にきめて、無理やり再びトウヒの純林に戻そ
うとするのが本再生計画の目標のようである。官僚と検討委員の傲慢な愚行に多額の
税金が浪費されようとしている。
本再生計画では、「30年代前半の自然再生の目標」に至る流れとして、まず「鹿の
捕殺と利用対策」で「森林生態系の衰退を防止する保全対策を強化」して、「自然の
復元力に委ねる」という。そして、これでも「森林の健全な更新が期待出来ない個所」
は「積極的な発芽環境の改善など実証的手法により森林生態系の再生を試みる」とい
う。しかし「保全対策」には殆ど力を注がず、一気に再生のための実験段階に突入し
ている。「自然の復元力に委ねる」などは心にもないウソで、闇雲に人の手を加えよ
うという衣の下の鎧が丸見えの、危険な計画である。
地球温暖化や大気汚染などによって現在の大気環境は50年前と大きく変わっている。
まして、100年後にどのような環境になっているのか想像もつかないだけに、「現状
において可能な具体的な目標像」などが言えるわけがない。現状分析を可能にする確
かな科学的データすらない状況で、この曖昧な目標設定は自然再生事業の幻想をばら
まく無責任な宣伝である。
3.自然再生計画は独自事業
・本再生計画の三分野「利用」「植生」「鹿」のうち、「新しい利用のあり方推進計
画」の中では、「マイカー規制」と「利用調整地区の設定」については、それぞれ「
協議会」の組織化が記されているが、他の「総合的利用メニュー6項目」については
記されていない。
・「森林生態系保全再生計画」については協議会の明記は一切ない。計画の一部の実
験、防鹿柵設置が検討会を無視して計画策定前に先行着手されている。
・「ニホンジカ保護管理計画」は環境省によって2002年度から実施されていて、既に
134頭の鹿が捕殺されている。
即ち、本再生計画の殆どは市民の参画が担保されていない環境省の独自事業である。
環境省霞ヶ関の方針では、自然再生事業の事業実施、維持管理に至るまで、市民と
の合意形成・連携・参画を図ることになっているが、本再生計画にこの方針が盛り込
まれているとは読めない。
4.「多様な主体の参画」は担保されていない
上記二つの「協議会」にしても、自然再生推進法がいう「自然再生協議会」のよう
に、手を上げた者の参画が担保されるものではない。「関係機関と調整する」と書い
てあるだけで、関係機関と緊張関係にある市民団体や自然保護団体などの参画は楽観
を許さない。確かに「多様な主体の参画」として「自然保護団体」の文字も見えるが、
具体的にはそれを保証する手立てがないだけに絵に描いた餅になるばかりか、むしろ
御用自然保護団体、NPO等で固めて環境省が独走する可能性が高い。鹿捕殺計画に
ついても、環境省は捕殺ネットの所在すら市民に明かしていない。全分野について市
民の参画は担保されていない。
本再生計画策定の最後の段階で、「森林再生推進計画」に「多様な主体の参画」の
文字が突然挿入されたが、内容は「手足」の作業ボランテイィアを求めているだけで、
これでは本来の意味での「主体の参画」ではない。端なくも「多様な主体の参画」に
ついての環境省の本音である市民蔑視が露呈してしまった。本再生計画は環境省霞ヶ
関の方針を満たしていない。
◆「森林生態系保全再生計画」・・・・正確な現状分析も将来の展望もない
1)本当に森林が衰退しているのか
再生事業を実施するためには、前提として大台ヶ原の現状を否定的に規定する必要
がある。環境省と検討委員は「森林の衰退」を当然のこととしているが、本当に衰退
しているのか。多くの複合的要因によって森林がダメージを受けているのは確かであ
ろうが、人為で「再生」しなければ消滅してしまうところまで果たして衰退している
のだろうか。歴史が示すように、過酷な環境変動のなかで大台ヶ原の森林は遷移を繰
り返してきた。
本再生計画には「針葉樹林、落葉広葉樹林とも、種子生産は行われ、多くの実生個
体がみられた。」とある。そのうえで「森林の構造的変化が起きている」として「現
在、稚樹が見られないのはシカによる採食の他、林床の乾燥、コケ類の減少、菌根菌
の不足、日照時間の変化などが考えられる要因であるが、詳しい因果関係が未解明な
点もあり、今後、防鹿柵内外での比較を含めた継続的な調査により解明していくこと
が必要である。」としている。本再生計画の中でこの記述だけが何故か異質で、まと
もで説得力がある。現状分析も将来への展望も、まだ、正確にできない今の段階で、
不充分な再生計画を無理やり見切り発車させることが将来に禍根を残すことになるこ
とはこの記述からも明らかである。
かつて、族学者が学問的根拠のないままに「本当に近い将来大台ヶ原の森林がなく
なる」と市民に対して危機を煽った。「近い将来」は過ぎ去ったが森林は消えず、「
本当」ではなかった。また近年、農水省の独立行政法人も、市民を対象にして「20年
で大台ヶ原の森林は消える」と危機を煽っている。18世紀以来、「無知なる大衆」を
支配してきた“科学”の虚名で、森林衰退を恣意的に煽っている。発表された報告を
読んでも、「20年後」と断定的に言える確かな根拠が見あたらない。自然再生事業は
国交・農水・環境三省共同の公共事業である。2002年7月1日、山下環境副大臣と岩永
農水大臣政務官が帯同して異例の大台ヶ原視察をしている。農水省予算をあてにした
紀伊半島の自然再生事業はすでに始動しいているのか。
2)ミヤコザサ優先地の天然更新を否定する恣意的暴論
本再生計画では「後継樹の欠落が明らかになった」「ミヤコザサ優先地で天然更新
が困難である」と断定するが、数十年、数百年単位で論ずべき天然更新を、僅か数年
で否定するのは早計に過ぎ、驚くべき独断である。「天然更新」を一応掲げておいて、
このようなこじつけで否定するのは、人工林化に道を開く恣意的暴論である。
一部の検討委員はミヤコザサと鹿を森林更新の二大阻害要因と断罪して、ミヤコザ
サの優先がなければ森林は更新するとでも言いたいようであるが、ミヤコザサも鹿も、
古来、大台ヶ原の自然であることを忘れているのであろうか。13ページにミヤコザサ
の分布拡大図を掲載しているが、その図で広い面積を占める三津河落山から大和岳に
至る釜ノ公谷源流部は、特別保護地区であるにも拘わらず、かつて拡大造林時代に皆
伐されてしまった。植林されていない皆伐跡地にミヤコザサが成育するのは当然のこ
とで、それを「森林衰退のあかし」とこじつけるのはナンセンスである。
1789年に野呂介石が大台ヶ原に登山した時、正木ヶ原、牛石ヶ原はすでに笹原であ
った。下って明治時代の古文書にも、「まさきはげ」「ほうそはげ」「大はげ」など
の記述がある。正木ヶ原、牛石ヶ原がすでに笹原であり、ミヤコザサ、スズタケが成
育し、鹿がいたにも拘わらず天然更新が維持されてきたのである。
族学者の風説で、大正時代の四日市製紙の東大台伐採が「択伐」と流布しているが、
近年、日本科学史学会々員川端一弘氏の研究で、皆伐を裏付ける公文書が発見された。
柴崎篤洋著『梢の博物誌』、遅塚麗水等篇『大台ヶ原登山の記』にも皆伐の様子が記
されている。環境省はこの事実を認め、本再生計画を「皆伐にちかいかたち」と書き
改めた。択伐と皆伐では意味が大きく異なる。皆伐後87年間、大台ヶ原の森林は天然
更新を続けて来たのである。
本再生計画では「天然更新により後継樹が健全に成育する森林を再生する」という。
出来もしないことであるが、仮に天然更新できる森林を人工的に作ったとしても、そ
の時すでにその森林は立派な人工林であって、「天然林の再生」でも「天然更新」で
もない。このパラドックスに素知らぬ振りをするのは卑怯だ。
3)すべてを先送りした無責任な再生計画
環境省は2004年1月の検討会で、「従来のように苗木を移植するのでは駄目だ。発
芽環境の改善を図る手法を考えた。播種は手法ではなく擬似的に行う。発芽床をどう
作るかが課題である。」と説明したが、自然再生事業の著述のある委員から「自然再
生事業は仮説をたててそれを検証していくのであるが、この案には仮説がない。調査
の目的を明らかにして、仮説を言葉で表せ」と批判を受けた。森林生態系部会座長は
「データ解析がまだ出来ていない。頭にある程度あるが、まだはっきりしない。」と
答えた。
それから1年を経た本年度最後の部会で、その座長は「解析はしない。二三のデー
タを計画に書くにとどめる」と無責任にもすべてを先送りした。解析をしなかったの
ではなく、解析できるデータの量と質、解析する能力の欠如から解析を放棄したので
あろう。再生計画作成には至らず、七つの植生タイプに分けて発芽状態を観察する実
験手法が記されているだけで、「再生のための道筋を想定した仮説」「天然更新によ
り後継樹が健全に生育できる基礎的条件」など、どこにも書かれていない。鹿の捕殺
計画同様、「初めに再生ありき」と思わざるを得ない。
この乱暴で粗雑な実験計画で、多くの関連学会の批判に堪えられるのであろうか。
このようないい加減なものを自らの政策にすることを誇り高い官僚がよく認めたもの
であるが、得意芸の「自然の不確実性」ですべてを言い抜けるつもりなのであろうか。
4)表層土除去実験は暴挙である
2002年の検討会初日に、「重機で表土を剥がして土を入れ替え、菌根菌をまいてト
ウヒを植えたい」と委員から発言があり、正に自然再生推進法が危惧された「形を変
えた開発事業」を思わせる内容であったが、今になってその発想が、この「表層土除
去」実験に生かされていた。
環境省は再生計画の「新たな展開への契機」(P.44)で、紀伊半島全体への事業展
開を書いている。それが自然再生推進法成立の究極の目的であろう。今の時点では一
応そこまでの事業計画が立てられなかったにしても、この実験を設定したことで、将
来それを根拠に表層土を除去した大規模土木事業に発展する可能性を否定することは
できない。
すでに実験と称して、表層土の落葉層(リター層)、腐植層を30cm以上剥がしてトウ
ヒの種子を200粒ずつを播種している。従来、裸地のような乾湿の変化の差の大きい
場所でなく、蘚苔類の中のような乾湿の変化少なく湿気のよく保たれたところで発芽
するといわれてきたトウヒの種子を、硬質土壌の上に播種して果たして発芽するのか。
確たる科学的確証があってのことであろうか。
最後の自然再生検討会で、かつて「トウヒ林保全対策事業」に関わった委員から厳
しい批判がでた。「表層土がかなり深くまで除去されているが、大台ヶ原は浸透性が
高くないので池にならないか。昔の播種実験の経験では、梅雨期に種子が流亡したり
移動したりして失敗した。降雨の影響の評価を考慮しなければ結果の解析が難しくな
る。無理やり地面を切り下げなくても、むしろ上等の土の盛土でもよいのではないか。
また、播種と周囲の母樹からの自然落下との区別をどうつけるのか。細かく目を配ら
ないと実験にならないかもしれない。」と。実験計画を作った森林生態系部会座長も
環境省も黙して語らなかった。
環境省は「自然再生事業の進め方」において、「人間は自然の回復力の補助者」と
して「科学的データを基礎とする丁寧な実施」「きめ細かな丁寧な手法」を用いると
いう。この実験のどこが「科学的データを基礎」にした「きめ細かな丁寧な手法」な
のか。すべて全く逆である。「自然の回復力」を阻害しようとしている。
温度の低い亜高山帯針葉樹林で、30cmもの表層土が集積されるまでには想像を絶す
る歳月が必要であったであろう。実験が失敗するか終了する時、この穴の修復をどう
するかについては全く書かれていない。自然公園法第14条第3項によって、市民は枯
枝一本枯葉一枚拾ってもいけない特別保護地区において、リスクを予測しないまま乱
暴に行うこの実験は暴挙である。
5)何故、まだ、トウヒなのか
確かに本再生計画から「トウヒ」の文字が、「針葉樹」や「特定の樹種に限らず」
などに書き替えられた。しかし、それなら何故、実験で播種される種子がトウヒなの
か。また、本再生計画には「擬似的に散布された状態をつくる」とあるが、環境省は
「積極的に播種する」と説明している。当然こちらが本音であろう。環境省(庁)は
1986年以来2003年度まで18年間にわたって「トウヒ林保全対策事業」を行い、6億円
の血税を浪費して58,000粒のトウヒを播種したが1本も育っていない。この失敗を承
知の上で、更に屋上屋を架そうとするのは何故か。 埋蔵種子の花粉分析学的研究に
よれば、「1300年前の大台ヶ原はトウヒが非常に少なく、ミズナラが周囲に存在し、
現在よりもヒノキの多い植生であった。」「現在はブナーウラジロモミの林であるが、
本来はヒノキやコウヤマキがもっと多い森林だったと考えてよい。」と報告されてい
る。
自然再生の著述がある検討委員は、「衰退したのはトウヒ林で、森林は変化してい
るのでしょう」と皮肉った。
先にふれた自然を「健全」「不健全」と評価するご都合主義同様に、トウヒを勝手
に「価値がある」ときめて、そのトウヒを穿皮する鹿を有害と断定して殺す論理をぜ
ひ開陳していただきたい。鹿はスケープゴートにされても抗弁できない。
6)何故、大台ヶ原の天然林の中で紀伊山地の人工造林の実験をするのか
紀伊山地の自然再生事業の具体的内容はまだ聞こえてこないが、農水省の予算を使
って、広大な針葉樹の人工林を広葉樹林に替えるのだと漠然と聞こえてくる。本会も
大台ヶ原周辺の人工林を天然林に替えることが鹿問題の根本対策だと考えている。き
めの細かい混交林であるならまだしも、現在生えている杉檜を林道をつけてなぎ倒し、
林業経営の見通しのないまま広葉樹を植林をするのでは、かつての高度経済成長期の
林業政策の裏返しになるだけで、結果は広範囲な自然破壊をもたらすことは明らかだ
ろう。
しかも、その造林実験をなぜ、大台ヶ原の天然林の中でやらなければならないのか。
しかも、その実験で播く種子が何故トウヒなのか、ウラジロモミなのか、全く辻褄が
合わない。しかも環境省は本再生計画を「あくまでも実験である。将来森林再生事業
を行う場合は別の検討を行う。」と言うが、無責任な発言である。将来の森林再生計
画を立て、その計画実現を目指して実験を行うのが当然であって、実験と将来の事業
は別だとする発想は無責任の極みである。この実験の目的が益々わからなくなる。
7)何もしないことを選択することが真の学識
“自然再生事業”について、学識経験の深い研究者など望むべくもないが、自然を
物質と考える狭い専門領域の自然科学者だけに好き勝手をさせるわけにはいかない。
人文・社会科学の広い分野の専門家、哲学者、宗教家の参加が必要である。また、自
然に対して巨大なインパクトを加え、地域住民に大きな影響を与える事業である以上、
行政の責任は計り知れない。今後のモニタリングの評価のためにも、行政追従の族委
員を排して広い人材を募るべきである。
8)環境省官僚の前例主義の呪縛
環境省は「トウヒの南限だから貴重だ」と言って来た。地球的規模の気候変動によ
って多くの動植物、昆虫などの「北上」はいまや疑いようのない現実である。にも拘
わらず、かつて大台ヶ原を特徴つけた文言に未だにに固執するのは時代錯誤であり、
出来もしない再生を試みるのは傲慢である。
巷間言われる「前例主義」にしても、20年前に族学者にだまされて先輩官僚が言い
出した「トウヒ林再生」のお題目を、再生の可能性が失われた今に至ってもまだ後輩
官僚が呪文のように繰り返すのには何か理由があるのか。市民はすでに聞き飽きた。
環境省のパンフレット『忘れてきた未来』には、「トウヒ群落の分布域の減少図」を
掲載して自然再生の必要性を強調しているが、もういい加減、「トウヒ」の呪縛から
解き放たれてもいいのではないのか。大台ヶ原の樹木はトウヒだけではない。トウヒ
にうつつをぬかしている間に、西大台のブナが危機的状況に陥ってしまった。
◆「ニホンジカ保護管理計画」・・鹿捕殺は科学の問題ではなく行政・政治の問題で
ある
冒頭に書いたように、大台ヶ原のシカ問題が公開の席で論議されるようになったの
は2001年5月の「ニホンジカ保護管理検討会」以来であるから足掛け5年になる。
もともと「初めに鹿捕殺ありき」でスタートして、「第9次奈良県ニホンジカ特定
鳥獣保護計画」に間に合わせるべく、2001年11月に「大台ヶ原ニホンジカ保護管理計
画」を科学的根拠のないまま、パブリックコメントの85%の反対を無視して、見切り
発車した。
ところが、その奈良県の特定計画策定(2002年3月)の前に、「新・生物多様性国
家戦略」には、「個体数管理を進めている」と書いている。鹿をまだ捕殺していない
段階で、既に殺していると書くのは政府が批准国にウソをついたことになるが、ウソ
上手の官僚や政治家にとって、これくらいのウソは日常茶飯事なのであろう。
又、1999年に鳥獣法を改正するために、環境庁(当時)官僚は、政治家やメディア
に対して「大台ヶ原では増えた鹿が森を枯らしている。法律を改正して駆除しなけれ
ばならない。」と吹き込んだ。今でもそう信じている人が多い。いまや、鹿を殺さな
いことには官僚のメンツがすたれる。
1)データに何の意味もない鹿捕殺計画
見切り発車以降、すでに3年間で118頭捕殺した。今になって、2004年最後の検討会
で、「針葉樹と広葉樹では剥皮による影響が異なるので、樹種ごとに剥皮率の推移、
剥皮から枯死に至る年数、枯死した理由など」を調査するとして、新たに7ケ所の調
査地点を設けたと誇る。もともとこれらの調査は鹿を殺す前にやるべきであったもの
を、3年も経った今頃になって“後追い調査”をしてどうするつもりだ。昔、国交省
が長良川で、「工事をしながら調査をする」と言ったのと同じ論理で、これを「順応
的」とはいわない。杜撰で傲慢というのだ。
すでに環境省は「鹿の剥皮が枯死に結びつくかどうか明確にはわからない」と報告
している。この後追い調査に期待するものは全くない。かえって、すでに本会HPで
何度も指摘したように、一部の検討委員の最近の報告の中に、真実を歪めて環境省の
方針に媚びる強引なこじつけがみられるだけに、捕殺追認のいかがわしいデータがで
てくる危険性が多分にある。検討委員の一部は、大台ヶ原の鹿を日本各地の里山にお
ける鹿の「食害」と同列に論じるようになっている。昨秋、例年の数倍のクマが里に
出て社会問題になったが、奥山の生息環境、里山と田畑の連続(コリドー)、人間の
居住地の環境、行政の対応など緻密に分析して対策が模索されているのと比較すると
余りにも粗雑な殺し方である。
検討委員は鹿の剥皮で樹木は必ず枯れると盲信しているが、捕殺した鹿の胃からは、
僅かな樹皮しか出てきていない。剥皮されても種子をつけ、元気に成育しているトウ
ヒはいくらでもある。専門家は山火事にあっても枯れないという。鹿がミヤコザサ飽
食の結果、バランスをとるための樹皮食いではないか、と調査を続けている研究者も
いると聞く。土地の古老は薬として剥皮するとも言う。確かなことは何もわからない
まま鹿の捕殺が強行されているのが現実である。
果たして昔、大台ヶ原には鹿が多くいたのか、それとも少なかったのか、地元住民
の意見は分かれる。生息頭数もわかっていない。概算1/9000の面積を調べて鹿の密
度を出し、統計処理の対象にすらならない少ないデータで、極端な場合は一つのデー
タでもって断定的な結論を出している。それを本会は足掛け5年、百万言を費やして
批判して来たが、いまや語るべき言葉もない。
繰り返し言ってきたが、鹿捕殺問題は科学の問題ではなく行政・政治の問題である。
森林再生計画同様、評価を先送りした科学とは無縁の行政措置である。118頭も殺し
て、樹木の剥皮や枯死は減ったのか、僅かなデータによると、鹿の密度は下った場所
もあれば逆に捕殺して上がった場所もある。 もっとも、環境省と一部の検討委員に
とって評価など、どうでもよいことであろう。彼等にとって、データはあればあった
でいいが、なくても一向に困らない。何故なら、捕殺はデータの評価に影響されるこ
となく計画通り遂行されるのだから。
2)「ニホンジカ保護管理計画」の便宜的な包含
「ニホンジカ保護管理計画」は、「自然再生検討会」とは別組織である「ニホンジ
カ保護管理検討会」で作られたものであるが、本再生計画をまとめる最後の段階でそ
のまま自然再生推進計画に包含された。依って立つ法律も異なり、内容的に整合性に
問題がある鹿捕殺計画をそのまま再生計画に入れるのはあまりにも便宜的に過ぎる。
3)鹿捕殺計画に市民の参画を
「ニホンジカ保護管理計画」を本再生計画に入れたからには、「基本的な考え方」に
おいて「多様な主体の参画」を謳っている以上、その基本方針に基づいて、「ニホン
ジか保護管理検討会」に市民の参画を求めたい。そうでないと、「基本的な考え方」
がウソになる。
◆「新しい利用のあり方推進計画」
1)マイカー規制の実現を目指して!
先に述べたように、環境省は自然再生推進法を成立させた時点で、マイカー規制を
実現する意志を捨てたと思われる。自然保護団体がうるさいからとりあえず並べてお
けというのが本再生計画の「利用計画」8項目であろう。しかし、看板を掲げた以上、
それが市民の願いであるだけに、実現に向かって努力するのが環境省の当然の責任で
あろう。看板に偽りあり、では市民は許さない。
本会は、「大台ヶ原自然再生推進計画」の「基本的な考え方」で示す「多様な主体
の参画」の方針に基づいて、「新しい利用のあり方推進計画」の中に記されているマ
イカー規制に関わる「大台ヶ原交通利用対策協議会」と、利用調整地区設定に関わる
「利用適正化計画検討協議会」(仮称)への参画を求め、すでに要望書を提出した。
二つの目標の実現に向かって全力をあげて努力する。
2)ドライブウエー・山上駐車場の撤去こそが真の「自然再生事業」
ドライブウエーについては既にふれたが、大台ヶ原ドライブウエーと山上駐車場こ
そが、人為で自然を損ない、自然が自律的に修復できない場所である。だとすれば、
まず、マイカー規制で走行車両と入山者を減らし、将来的にはドライブウエーを廃道
にすることこそ、真の「自然再生事業」であろう。
【III】 今後の活動のために
1.残された自然の保全を優先し、何もせずに自然にゆだねるべし
本会は2002年11月に、自然再生事業について、「いま、大台ヶ原に必要なのは再生
ではなく保全である」と基本理念を明らかにした。この度策定された「大台ヶ原自然
再生推進計画」はこれらの基本理念のすべてを否定するものである。
かつて自然再生推進法が国会で審議された際、弁護士会、自然保護団体等から廃案
を求める激しい批判が浴びせられたが、いまや全く聞かなくなった。国交・農水・環
境の莫大な予算を、不況に苦しむ地域にばらまくことで地域を取り込んで自然再生事
業が進められようとしている。自然再生事業は「第二の列島改造論」「形をかえた公
共事業」として、国土に深刻な自然破壊をもたらすことは明らかである。今の時点で
改めて本会の基本理念を強調したい。
2.自然再生事業に対する本会の基本理念
(1)「失われた自然を取戻す」など自然に対する冒涜である。
(2)自然は物質ではない。「積極的に取戻す」策はない。
(3)生態系の「健全」「不健全」の判断は人間の身勝手である
(4)「原生的自然の再生」は暴挙であって、壊滅的破壊を招く。
(5)なぜ、天然林の中で人工林再生手法の実験をするのか。
(6)「多様な主体」がどのように参画できるのか。
(7)大台ヶ原でいま必要なのは「再生」ではなく「保全」である。
3.真の協働のために、更なる説明責任、情報公開、市民参画を求めて
本会の歴史は行政に対する異議申立ての歴史であった。その理由は、大台ヶ原のあ
るがままの自然を観光開発によって破壊するのが行政自身であったからである。そし
て、大台ヶ原のあるがままの自然を救う道は入山規制しかないと考えた。 北海道の
キリギシ山で、観光客から高山植物を守ろうとする地元山岳会の願いを行政がくみ上
げて、官民一体となって、この国で最初の完全入山規制に成功した実例があるだけに、
大台ヶ原でも市民と行政の協働による実現を願ったのである。
近代の変容が論じられ、環境問題がグローバル化するなかで、この国の官僚たちも
軽蔑する市民の声をようやく聞かざるを得なくなった。しかし、牢固たる官僚制度と
戦後60年を経て完成した衆愚政治を承知しているだけに、奈良で実現した情報公開と
市民参画に過剰の期待をかけたわけではなかった。霞ヶ関からの「パートナーシップ」
の呼びかけを、多くのNPOのように信じることもなかった。検討会発足後、最初の一
年間はほとんど疑い、二年目からは半信半疑であって、基本は疑うことであった。し
かし、官僚が心ならずも市民の声に耳を傾けざるを得なくなった「時の動き」を感じ
ていただけに、行政との協働に期待をかけたのも事実である。そのために検討会に参
画し、市民の立場から非力ながらも精一杯努力してきたつもりである。
思えば、冷戦体制の崩壊後、旧来の体制が変わるかに思えて、その兆しが何回も見
られたが期待は裏切られ、無力感と無関心がいま社会を覆っている。本再生計画策定
の経緯と結果に同質のものを感じる。それだけに、ここで無力感に陥ってはならない
と考える。時が動き始めた中で、官僚が本質的なところで少しも変わっていないこと
を知った体験は無駄ではない。一方で、市民との協働を誠実に努力する官僚が生まれ
てきたのもまた確かな事実である。その数少ない官僚を知り得たことは幸いであった
と考える。甘いと批判されるかもしれないが時の動きを信じ、開き直ってやろうと考
えている。
本会は従来、環境省と奈良県が最も嫌悪する「情報公開」と「市民参画」を繰り返
し求めてきた。変化を嫌い、改革を拒否する官僚・役人の弱点がここに隠されている
という役人もいる。そうだとすれば、本会の活動は正鵠を射ていたことになる。むし
ろその活動があったからこそ、検討会参画があったとも言えよう。
環境省の方針によれば、自然再生事業の「調査計画段階から事業実施、維持管理に
至るまで、関係省庁、地方自治団体、専門家、地域住民、NPO,ボランティ等多様
な主体の合意形成・連携・参画が必要である」としている。本会は今後も環境省に対
して「説明責任」「情報公開」と「市民参画」の要求を更に強めていきたい。衆愚政
治の中で役人は市民に「従順なる羊」を求めているが、本会は自立した市民として真
の協働を求めて行きたいと考えている。
本会は、本再生計画策定後直ちに、「マイカー規制」「利用調整地区」の二つの協
議会に参画を要望したが梨の礫である。今後の自然再生事業の実施段階で、官僚の誠
実さが試される。
以 上
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