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大台ケ原>エコマネジメントと自然再生推進計画
情報提供者 : 大台ケ原・大峰の自然を守る会 提供日付  : 2005/06/14 19:25 登録経由地 : prweb情報受付 02 #00039 注意:自然環境フォーラム及びネイチャー&バードフォーラム経由で掲載した    情報には、一部に当該団体の公式なリリースではなく、ネットワーク向    けにのみ提供された情報が含まれています。    また、掲載形式は、原則として上記フォーラムに掲載されたテキストそ    のもので、前後にフォーラム会員宛の説明や挨拶が付け加えられている    場合があります。

  エコシステムマネジメントと「大台ヶ原自然再生推進計画」

                        大台ヶ原・大峰の自然を守る会
                                       田村 義彦
【はじめに】
 日本弁護士連合会は「2006年人権大会(北海道釧路大会)」を、仮題「エコシステム
マネジメント −野生動物との新たなる関係− 」をテーマに開催する予定で、その
ために本年5月に大台ヶ原の現地視察を行う。その参考資料として、本年1月に策定
された「大台ヶ原自然再生推進計画」(以下「大台再生計画」と略す)をエコシステ
ムマネジジメントの視点から考察する。
<要約>
 エコシステムマネジメントの二つの基礎的条件である「科学性が確保」できず、「
多様な主体の参画」も担保されていない大台ヶ原自然再生推進事業(2005年1月)に
おいては、エコシステムマネジメントは成り立たないと考えざるを得ない。学術調査
を実施してデータを蓄積し、多様な主体の参画が法的に担保された暁に、初めてエコ
システムマネジメントが成立するのではないだろうか。

【行き詰まった公共事業の「救世主」として登場したエコシステムマネジメント】
 江戸時代後期に構築された官僚機構は、官尊民卑の風潮のなかで国民を蔑視し続け
てきたが、突然数年前から霞ヶ関官僚が「パートナーシップ」などと聞きなれない言
葉を口にして市民に近寄って来た。市民はとまどった。いままでアポも取れなかった
霞ヶ関官僚に、突然仲良くしようと言われても簡単に信じるわけにはいかない。官僚
の突然の変貌の原因は多分外圧であろうとは予想していたが、柿澤宏昭氏の『エコシ
ステムマネジメント』(2000年・築地書館)によってその種明かしができた。

 柿澤氏は、エコシステムマネジメントは1980年代のアメリカにおいて、「行き詰ま
った自然資源管理を打開する〔救世主〕としての期待をもって登場した」と書いてい
るが、日本においては、「行き詰まった公共事業を打開する〔救世主〕として登場」
したと言えるようだ。平成10年(1998年)度の林業白書、環境白書にエコシステムマ
ネジメントの考え方が環境保全の方向性としてとりあげられ、河川法・森林法・自然
公園法など各法の改正などにつながり、自然再生推進法を生み、各省の再生事業を支
えることになったようである。聞きなれない「パートナーシップ」の生みの親はアメ
リカの「エコシステムマネジメント」であったようだ。

 さて、柿澤氏はエコシステムマネジメントに「パラダイム転換を行うための基礎条
件」として、(1)市民参加、(2)職員の多様性・専門性、(3)科学性の確保、(4)資
源管理の主体としての市民の成長、の四つをあげている。(1)と(4)、(2)と(3)は
同じ範疇にくくれるので、「市民参加」と「科学性の確保」の二つが基礎条件となる。
 一方日本では、まるでそのコピーのように、2002年に成立した自然再生推進法の基
本理念に「多様な主体の連携」と「科学的知見に基づいて実施する」ことが謳われて
いる。また、環境省の個別法に基づく「自然再生事業の進め方」では、「重要なポイ
ント2点」として「(1)科学的データを基礎とする丁寧な実施」、「(2)多様な主体の
参画と連携が必要」が謳われている。
 そこで、大台再生計画が果たしてその二つの基礎条件を満たしているのか、考えて
みたい。《大台再生計画の内容は次の三分野から構成されている。「自然生態系保全
再生計画(以後、森林と略す)」、「ニホンジカ保護管理計画(以後、鹿と略す)」、「新
しい利用のあり方推進計画(以後、利用と略す)」》

(1)科学性の確保
 大台ヶ原においてはいままで一度も学術調査が行われたことがない。環境省は、昭
和61年(1986年)から平成15年(2003年)まで18年間、「トウヒ林保全対策事業(後
に森林保全対策事業と改称)に約8億円の経費を投じたが完全に失敗し、関係した研
究者は確かな科学的データを何も残さなかった。2002年に発足した大台ヶ原自然再生
検討会は「大台ヶ原にはまともなデータはない」という認識からスタートした。

 環境省は2年間調査を実施したが、事務局である(財)自然環境研究センターの限
られたスタッフと短い時間では満足なデータが得られなかった。環境省は計画策定を
一年近く延期して調査を継続したが、生態系の正確な科学的把握・解析には不充分で
あった。森林生態系部会もニホンジカ保護管理検討会も共にデータの評価を先送りし
た。
 自ら「科学性の確保」を謳いながら限られたスタッフと時間しか用意しなかった環
境省の真意を疑わざるをえない。
 データのない大台ヶ原で自然再生事業を行うためには、質量ともに豊富な人材と大
学機関の協力を得た5年以上にわたる学術調査が必要であろう。エコシステムマネジ
メントは生態系の持続性を目的としているといわれるが、大台ヶ原においては生態系
解明の入り口で立ち止まった、と言わざるを得ない。

 その結果、具体的な事業計画を立てることができず、トウヒの発芽の様子を観察す
る初歩的な実験計画の作成に止まった。従来、各種審議会・検討会は行政が作成した
案の追認を常とする通過儀礼であったが、本検討会においては各部会で具体案を作成
した部分が多かった。しかし、検討委員にとっては、遠い将来を見据えた再生計画を
責任をもって立てる自信がなかったのであろう、それを「慎重で順応的な姿勢」と言
うのは正しくない。

 発芽環境の観察程度の実験であれば、林野庁に豊かな経験が蓄積されていると思わ
れるが、縦割り行政の弊害か、環境省は林野庁に協力を求めず、検討会に加わる林野
庁もあえてサジェッションを避け、必ずしも専門とはいえない検討委員が実験計画を
作った。それが果たして学問的批判に堪えるものであるのか、関連学会の意見を求め
るべきであろうが、例えば本年3月に大阪で開催された第52回日本生態学会では大台
再生計画に関する演題は見当たらなかった。

 バブル崩壊の中で、名前を変えた公共事業としての自然再生事業を急ぐあまり、法
律、行政が先行したが、それを支える科学的データがアメリカのように蓄積されてい
なかったといえよう。生物のゲノム解析が進み、生命現象の根幹が明らかになる一方
で、森林生態系に生きる多様な生物の動態はまだよく知られていない。例えば、自然
再生事業の模範のようにいわれる霞ヶ浦のアサザプロジェクトにしても市民レベルの
試行錯誤を学問が後追いしている段階である。
 <エコシステムマネジメントと自然再生事業の理念が基礎条件として求める「科学
性の確保」は大台ヶ原自然再生推進計画においては満たされているとは言えない。>

【自然生態系が科学で解明できるのか・・・】
 ところで、ここまでの議論は、あくまでも「科学」を是認してのものであるが、実
は本会は現代科学が自然を解明できるとは考えていない。18世紀後半から用いられる
ようになった「科学」と言う言葉は、その後、「科学的」と言えばあたかも真理性や
確実性の代名詞のように使われるようになり、国家権力の後ろだてによって優越性、
正当性が与えられた。科学が神にかわったといえる。人間の知は常に未熟であり、不
完全であり、自然を科学知をもって理解したと判断することは早計に過ぎると考えて
いる。

 環境省は自然再生事業の前提として、まず現在の大台ヶ原の生態系が衰退している
ことを立証しなければならなかったが、大台再生計画では、考えられるいくつかの原
因を「複合的要因」として列記するに止まって、その相関関係、因果関係を科学的に
解明していない。例えば鹿がトウヒを枯らしたとして鹿の捕殺を始めて3年が経過し、
すでに118頭を捕殺して更に今後も継続する計画であるが、その因果関係の科学的立
証、捕殺の成果の証明が未だに為されない。原生的自然の中での動植物の動態がほと
んどわかっていないにも拘わらず、官僚が「生物多様性の保全」を呪文のように唱え
ながら「トウヒのために鹿を殺す」という不可解な施策を強行しているのが実態であ
る。鹿捕殺計画の非科学性については、本会の「残された自然の保全を優先し 何も
せずに自然にゆだねるべし」(2005年2月26日)に詳述しているので省略する。

(1984年に近畿弁護士会連合会が奈良において第13回人権擁護大会を開催したが、そ
の際、奈良弁護士会が作成した『大台ヶ原―その保存のためにー』のなかで、「疑わ
しきは保護する」という判断原則が打ち出され、その後、大阪弁護士会の山田隆夫弁
護士が『自然の権利』(1996年信山社)において「開発謙抑の原則」に発展させた。)

【自然の不確実性】
 柿澤氏は生態学の発展がエコシステムマネジメントの登場を可能にしたと書いてい
る。大台再生計画の検討会メンバーであり日本の保全生態学の第一人者といわれる鷲
谷いずみ東大教授(日本生態学会会長)も所謂古典生態学を批判している(『自然再
生事業』2003年・築地書館)。しかし、市民の立場からすればこの生態学論議はコッ
プの中の嵐であって、生態系解明にそれほど大きな進歩があったとは思われない。自
然は相変わらずわからないことばかりで、驚きと不思議に満ちている。なによりも「
大台ヶ原自然再生推進計画」の不充分さがその証明である。検討委員が一級の学者研
究者揃いでなかったとはいえ、大台再生計画の粗雑さは未成熟な生態学の限界を示し
ており、「不確実性」で言い訳できるものではない。

 柿澤氏はエコシステムマネジメントを実行する備えのいくつかの課題の一つとして
「不確実な知識があっても、次ぎの一歩を踏み出さなければならない・・・適応型管
理実行の問題」としている。官僚は「自然は不確実であり、確かな科学的データを待
っていたのでは行政は何もできない」とよく言うが、それは自然の不確実性を口実に
した行政の施策強行を願ってのことで、それを「適応型管理」というのは正しくない。
(柿澤氏が「適応型管理」というAdaptive Managementを日本の官僚は「順応型管理」
という)

【自然再生事業のパラドックス】
 柿澤氏は「パラドックスを超えて」と書くが、少なくとも大台ヶ原においては、科
学の歴史よりもはるかに古くから自ら然るべく天然更新を行ってきた原生的自然を、
人間が「すでに天然更新できなくなった」と断定し、人工で更新をしてやるという自
然再生事業のパラドックスは超えられていない。自然再生事業は擬似自然をつくるこ
とであって自然の再生ではない。
 また、鷲谷氏や環境省は自然再生事業の手法として、仮説を立ててそれを検証して
いくとしているが、本再生計画では、しっかりした「仮説」を立てることができなか
った。したがって、事業計画を立てられるはずがなく、観察実験計画でお茶を濁し、
一年近く遅れた再生計画を見切り発車したのである。

(2)市民参加
 大台再生計画の調査・検討段階では三部会の一つである利用対策部会に本会が参加
し、「マイカー規制」「利用調整地区」など五項目を大台再生計画に入れることが出
来た。しかし、三部会は大台再生計画の策定を終わった時点で任期が切れた。策定後
の事業実施・維持管理段階において多様な主体との連携・合意形成をどう図るかは未
知数であり、市民・自然保護団体の参加は担保されていない。

 又、大台再生計画では「基本的な考え方」として「多様な主体の参画」を謳っては
いるが、森林・鹿・利用の三分野において、今後、再生協議会への市民参加の可能性
があるのは、利用計画の中の二つの課題に過ぎない。他の事業はすべて従来通り環境
省官僚だけで実施できるわけである。これは、個別法で自然再生事業を実施している
国交省、農水省などにおいても同様であろう。

 自然再生推進法では、行政の承認が必要であるにしても手を挙げた市民が自然再生
協議会へ参加できることが法的に担保されているのに比較して、「個別法に基づく自
然再生事業」では市民参画が担保されていない。この違いは大きい。巷間「自然再生
事業」という言葉が氾濫しているが、自然再生推進法に基づく場合と、一般名称とし
て使用される場合の内容が大きく異なることは全く知られていない。何故か環境省は
その違いを明らかにしようとしない。むしろわざと曖昧なままにしている様にすら感
じる。市民参加を装いながら従来通りの密室行政を行おうとする衣の下の鎧が垣間見
える。

 一方、市民の側をみれば、戦後60年、民主主義は未だ未成熟のままで衆愚政治が横
行し、自立した市民が社会的発言、行動をほとんどしない閉塞現状では、例え、市民
参画の可能性があったとしても、果たして行政と対等に責任ある提言、行動ができる
かどうか極めて疑わしい。市民が参加すればいいという問題ではない。近年、雨後の
筍のように輩出したNPOは、僅かな補助金ほしさに行政ににじり寄るばかりで、こ
こでいう「市民の参加」とは無縁のものである。曽根綾子が1997年に「・・今やNP
Oは、専門職でもない、アルバイトでもない、奉仕でもない、という不気味な素人集
団を生温かく食わせる温床になりかねない。二十一世紀には、そうした「ボランテイ
ア業」が流行しそうな予感もする。」と書いているが、残念ながらその予感は的中し
た。本音では軽蔑、嫌悪する市民ににじり寄る不気味な官僚とそれに媚びる不気味な
素人集団とのいかがわしい相姦図が現在の実態ではないだろうか。

 未だに官尊民卑の風潮が根強い現状では、市民参加を官僚が本音で考えているとは
思えないし、官主導に馴れきった市民の側も本気で市民参加を願っているとも思えな
い。到底、「協働」などが望める状況ではない。西欧諸国と日本との絶望的な違いで
はないだろうか。
 官僚の側が、官僚である前に一人の市民であるという自覚をもち、行政の提案は市
民の提案と対等な「提案の一つ」であるいという認識を持ち、市民の側も行政と対等
に論議できる専門性と責任の自覚を持たなければ、真の「協働」など百年河清を待つ
に等しい。
 <エコシステムマネジメントと自然再生事業の理念が基礎的条件として求める「市
民の参加」は大台ヶ原自然再生推進計画には担保されていない。>

 エコシステムマネジメントの二つの基礎的条件である「科学性が確保」できず、「
多様な主体の参画」も担保されていない大台ヶ原自然再生推進事業においては、エコ
システムマネジメントは成り立たないと考えざるを得ない。学術調査を実施してデー
タを蓄積し、多様な主体の参画が法的に担保された暁に、初めてエコシステムマネジ
メントが成立するのではないだろうか。現状では、日暮れて道遠し、の感を否めない。
                               2005年04月06日



  

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