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情報提供者 : 緑の地球ネットワーク
提供日付 : 2005/11/01 23:22
登録経由地 : prweb情報受付 02 #00442
注意:自然環境フォーラム及びネイチャー&バードフォーラム経由で掲載した
情報には、一部に当該団体の公式なリリースではなく、ネットワーク向
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また、掲載形式は、原則として上記フォーラムに掲載されたテキストそ
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場合があります。
中国山西省大同市の黄土高原の農村での緑化協力活動のなかでの体験を
書きつづっています。不定期の発行です。
バックナンバーを緑の地球ネットワークのWebページにおいています。
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黄土高原だより(NO.334)
(2005.11.01)
高見 邦雄(緑の地球ネットワーク事務局長)
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声
大同に滞在していて、いつも思うんですよ。
どうして中国人は、こんなに声がでかいんだ、って!
そりゃあ、日本は島国ですけど、
中国は大陸で、しかも中央集権ですから
声がでかくないと、届かない、という意識がつよいんでしょうね。
こちらは、むこうが大きいと思うけど、
先方は、日本人はとくべつに小さいと思うようで、
私たちが、ふつうに話していても、
「ああ、日本人がまた、ひそひそ話をして、
なにを悪企みしているんだと、中国人は思いますよ」と
中国人の旧友が、話してくれたことがあります。
私なんて、しわがれ声の、小声だから、
ちょっとした、陰謀家でしょうね。
その象徴が、あの会議室でしょう。
だだっ広い部屋の、壁に沿って、巨大なイスが、ならべてある。
日本人だったら、顔つきあわせて、
(えらいかたたちは、料亭で)
というふうが、落ち着くんでしょうけど、
中国は、思いっきり、遠い。
北京にくらべても、大同の言葉は、
ぶっきらぼうで、ぶつけるような感じが、あるようですね。
5年ほど前のことですけど、さる日本のテレビ局の取材があり
補助役で、北京の人たちが、やってきました。
到着したその晩に、そのうちの1人が、私のところにやってきて、
「大同の人たちは、悪いですよ。
ケンカばかりしています」といったんですね。
べつに、ケンカをしているわけではなく、
ふつうに話していても、北京の人からすると、
意味はききとれないし、
そのように聞こえる、らしいのです。
その他の、生活の場でも、よけいな音をだすのは、
マナーに反すると、私たちは、思ってるじゃないですか。
歩くときも、バタバタ音を立てるのは、
みっともないことだと、教えられている。
ところが、あちらでは、足音をたてないで歩くのは、
「あいつは、なんなんだ。
ひょっとすると、やつのしごとは、
夜のしごとじゃないか?」なんて、
思うようですね。
こういう表現は、最近の若い人には、通じないようです。
夜のしごと、というのは、どろぼうさんのことです。
いまは、夜のしごとも、たくさんありますけど、
昔は、夜は、眠っているのがふつうで、しごとをしているのは、
そういう特別のことだったのです。
私は以前、四国の高松での講演で、
「頭の黒いネズミの大発生で、
黄土高原は、森林が失われてしまいました」と話したんですけど、
翌日の地方紙に、私のカラー写真つきで、
「黄土高原では、20年前から、ネズミが大発生し、
森林を枯らしてしまった」なんて、書かれたんですね。
中国の長い歴史が、なぜか、20年になってしまって。
いらい、恥ずかしくて、四国には、行きづらいんですね。
食べるときも、ピチャピチャ、音を立てるし……。
でも、それに慣れると、
そうやって食べてる、彼らのほうが、
何倍もおいしそうに、思えてくる。
あらゆる音を、乗り越えて、
さらににぎやかに、会話をしながら、食べますから、
食事の場は、ものすごいものです。
評判の、おいしい店は、たいていは満席です。
ものすごく、にぎやかななかで、会話をなりたたせるためには、
それぞれの声が、だんだんと、エスカレートする。
そのなかにいるだけで、私なんか、
神経がささくれだって、拷問のようなものです。
比較的に、静かな店というのは、これがほんとに、正直なんですね。
同じ材料、同じような料理方法で、どうしてこんなにちがうんだ、
ということが、味オンチの私にも、しっかりとわかる。
そういう店は、たいてい地元じゃない人が、選びます。
北京あたりの旅行社や、おえらさんのおつきが決める。
地元の人は、口を出しにくい。
値段は、概して高いんです。
「高い金をはらって、まずいものをたべる」といって、
地元の連中は、バカにします。
静謐と美味の両立は、ほんとにむずかしい。
それから、日本人の会話というのは、
たとえれば、ハンディトーキー、のようなものでしょ。
だれかの発言がおわって、
口に出さないけど、「どーぞ」となって、
それで相手が、話しはじめる。
ところが、彼ら彼女らの会話は、
常時、双方通行なんですね。
どちらも自分の話したいことを、どんどん、どんどん話す。
大同事務所の武春珍と、王萍なんて、
いっしょにいるあいだじゅう、ず〜〜〜〜〜っとしゃべって、
しゃべって、しゃべって、しゃべって、ますよ。
原因は、言語構造にある、という説を、
なにかの本で、読んだ記憶があります。
日本語は、最後まできかないと、
肯定か、否定か、わからない構造だから、
相手のいうことを、最後まで聞くしかないのだ、といって。
それはヨーロッパ語との、対比のかたちで書かれていて、
日本語への、コンプレックスが、感じられたんですね。
イヤな感じがして、記憶に残っています。
欧米の人間も、同時双方向で話すんですかね?
私は、つきあいが少なくて、わかりません。
私がよく引用する、大同の民謡の一節です。
「靠着山呀,没柴焼.
十箇年頭,十年旱一年[シ労]」
漢字で書けば、たった16文字ですけど
(「呀」は音だけの、意味のない字なので数にいれない)
日本語に訳すと、
「山は近くにあるけれど、煮炊きに使う柴はなし。
十の年を数えれば、九年は日照りで、一年は大水」となります。
上田信さんの、すてきな訳でも、こんなに長くなっちゃう。
しかも、中国語っていうのは、1文字1音節です。
意思伝達において、日本語より、ずっと効率がいいはずです。
効率がいい言語で、双方向の密度で、
あんなに長く、話しあっているのだから、
私たちには、想像もつかないほどの
ものすごい意思疎通が、できているかと思うと、
実際のところ、そうとはかぎらない。
そりゃあ、そうでしょう。
意思疎通が、それだけ密接におこなわれたら、
中国人の認識の共有化は、ものすごく、すすむはずですけど、
それぞれが勝手なことを、考えています。
よくいえば、多様性がある。
聞いてはおくけど、私には、私の考えがあるよ、
ということなのかもしれない。
話がずれていきそうなので、ここまでにしますけど、
正直なところ、私は、
あの騒音のなかで過ごすのは、ものすごく苦痛です。
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