prweb_logo スポンサー1スポンサー2
スポンサー募集について
この団体の提供情報一覧 この情報の提供団体について prwebについて
大台ケ原>自律せよNPO
情報提供者 : 大台ケ原・大峰の自然を守る会 提供日付  : 2006/04/17 22:07 登録経由地 : prweb情報受付 02 #00948 注意:自然環境フォーラム及びネイチャー&バードフォーラム経由で掲載した    情報には、一部に当該団体の公式なリリースではなく、ネットワーク向    けにのみ提供された情報が含まれています。    また、掲載形式は、原則として上記フォーラムに掲載されたテキストそ    のもので、前後にフォーラム会員宛の説明や挨拶が付け加えられている    場合があります。

               通過儀礼瞥見 自律せよNPO・・・

  ― 第三次環境基本計画(案)に対する近畿ブロックヒアリング ―

 正直なところ政府の基本方針には切実な関心はない。床の間の飾りくらいにしか
思っていなかった。この類のものには、いままで何度かパブコメなどで意見を出し
てきたが何の意味もなかった。
文字通り形骸化して通過儀礼に過ぎない“ヒアリング”である。一応民百姓の声も
聞いてやったというポーズに過ぎない“意見発表者募集”に何の興味も感じなかっ
た。
 ただ、最近「市民参画・情報公開」の虚しさについて考えていて、近く総会で報
告したいと思っていたので、ヒアリングをする側の中央審議会の委員諸侯と霞ヶ関
官僚の反応に興味があったので、それだけを見るつもりで時間を割いて、2006年2
月29日に大阪へ出かけた。

 意見発表者5名の発言内容は予想通りここに書くほどのことはなかったが、ただ
一人、奈良のNPOの“意見”に驚いたので、この駄文を書くことになってしまった。
 現在大阪には、環境省が「近畿環境パートナーシップオフィス(きんき環境館)
」を作って情報を発信し、イベントを主催し、環境グループに交流・情報交換の場
を提供している。畏友西岡氏が主宰する「ウータン・森と生活を考える会」は会議
の場所を借りている。先日筆者もその総会に行ってきたところだ。近ければ、本会
も借りたいくらいだ。
(ただ、職員数名が、すぐそばに机を並べているのが気になった。集会のすべての
発言が聞こえるし顔も見える。筆者の様に環境省批判を公然としている者は平気で
あるが、行政批判を遠慮しながら発言する人には気になる存在であろう。牽制や情
報収集のためではないと思うが、いささか配慮を欠く、無神経な配置ではないか。
環境問題はきれいごとではない。行政や企業との軋轢の問題を多く含むだけに、き
がねなしに自由に論議できる場を提供すべきではないか。閑話休題)

 NPOの提案はそのオフィスを全国に作ろうということのようだ。その限りにおい
ては結構であるが、問題は作り方である。役所に予算がないだろうから、環境省で
基準を定めて、現在活動している団体を募って審査の上で、パートナーシップオフ
ィスに認定してくださいと言うのだ。不思議な発想だ。
 環境省が基準を定め、審査して認定するのだから、民間団体の事務所を環境省御
用達のオフィスにするということになる。それを何故、市民がお願いするのか?作
るべきは、自律した市民のネットワークではないのか。市民が官製ネットワークを
有り難がる感性は理解の範疇を越える。
 この提案は、さすがの官僚にとってもお笑いであろう。いくらなんでも露骨すぎ
る。賢明な官僚はそんな下手なことはやらない。やるなら民主的装いで厚化粧をし
てもっと上手にやるだろう。こんな提案は、官僚の国民蔑視を増幅させるだけだ。

 この発言を聞いて思い出したことがある。2001年に川口環境大臣がタウンミーテ
ィングという名で市民との対話集会を東京で開くというので、自然公園法の改正を
直訴しようと上京したが、フロアーからの発言は、口をそろえて「金がない、場所
がない、人がいない、環境省でなんとかしてほしい」という哀願であった。唖然と
した。ところが、僅かな補助金欲しさに官に媚び、安い労働力として行政の補完作
業を行い、その恥辱を省みないNPOの基本体質は、5年経っても少しも変わっていな
かった。封建の世ですら民百姓は命をかけてお上へ異議申立てをしたが、いまの民
百姓のこの卑屈な姿を歴史はどう評価するのだろうか。勿論、言うまでもないこと
だが、すべてのNPOがそうだとは言わない。筆者が尊敬する知人、友人が独立独歩
で立派な事業を行っていることは知っている。

 クリスチャンで作家の曽野綾子氏が1997年に『片手間の誠実』と題して書いた一
文を書き写す。
「NPO法案が整備されればされるほど、ボランテイア活動は、その奉仕の精神を失
い、商業化するだろう。・・・今にNPOは、専門職でもない、アルバイトでもない、
奉仕でもない、という不気味な素人集団を生温かく食わせる温床になりかねない。
二十一世紀には、そうした「ボランテイア業」が流行しそうな予感もする。」無償
の宗教的ボランティアを長く続けている作家の感性はさすがに鋭い。先見の明と言
うべきであるが、本当はあたってもらいたくなかった。

 冒頭に書いたようにこのヒアリング会場には傍聴にだけ行ったのだが、傍聴者に
も発言を許すということなので、検討委員として参画した5年間の体験を踏まえて、
基本方針の美辞麗句を現実のものにしてもらいたいと、軽率にもセレモニーに参加
してしまった。いま己の発言の虚しさにほぞを噛んでいる。

 しかし、気を取り戻して少しだけ基本計画を見てみよう。第三次環境基本計画(
案)の「第4節 国、地方公共団体、国民の新たな役割と参画・協働の推進」には
「1 国、地方公共団体、国民の役割を踏まえた連携の強化」「2 施策プロセスへの
広範な主体による参画の促進」「3 行政と国民とのコミュニケーションの質量両面
からの向上」とある。実現すれば、まことに結構である。検討会の類に自然保護団
体からもっと多く参加させるべきだ。
 「国民の役割」の文字が二度出てくるが、それを誰が決めるのか?自律した市民
であれば言われなくてもわかっているが、衆愚政治に馴れきった国民は、上記のNPO
のようにお上に決めてくれと頼むのだろうか。それとも、お上の方から役割を与え
てくるのだろうか? 筆者は戦時中、少国民の役割を教育されて、役割を果すべく
敗戦まで生きていた。官僚は、パートナーシップとか協働とか心にもない言葉を並
べるが、本音は、地方自治体や国民に対して上から役割を押しつけたいのだろうか。
それが官僚の本質だろう。そして官僚の御下命の受け皿がNPOであるとすれば、正
に不気味で危険で醜悪な構図である。

 環境省は、政策形成過程から施策の実施、事後の評価まで、「国民や民間の各種
団体の参加・参画を得ながら進めていきます」と結構なことを書いているが、間違
っても、御用NPOを周囲に侍らせてバリアを築くようなことはしないでくださいよ。
最近、身近でそれが起きた。市民参画を逆手にとった官僚の卑劣で巧妙なやり口だ。

 この基本計画は50年後を見通しながら、毎年チエックしていくというから、多く
の基本計画がそうであるように、床の間の飾りで納まるのか、それとも現実のもの
になるのか、しばらく様子をみることにしょう。

 それにしても、政府・官僚はアメリカの「エコシステムマネジメント」にひれ伏
したのか。国民を蔑視する優秀な頭脳から、なぜ独創的な施策は出てこないのか。
外圧による民主化のポーズはグロテスクだ。官僚自身のプライドも許さないはずだ。
「市民参画」「協働」が虚ろに響くが、まさか基本計画は「大本営発表」ではない
でしょうね。
                       2005年3月2日   田村 義彦


  

[article_prweb]oodai.htm